【社長通信】失われた時を求めて

わが家の庭の片隅にある実のなる木、杏子がたわわに実をつけ、濃紅色が五月の空に映える。過去にも実はつけてはいたが年によりムラがあった。今年は今までにない見事な実りである。その杏子の実を手にした時、子どもの頃に食べた生家の杏子が甘酸っぱい記憶とともに喉の奥によみがえった。

マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』という小説のなかに、紅茶に浸った一片のマドレーヌの味覚から不意に蘇った幼少時代の鮮やかな記憶という件(くだり)がある。なんの変哲もない日常の暮らしのなかでふとしたきっかけで過去の記憶が鮮やかによみがえる、という長編の小説である。


杏子を目の前にして子どもの頃の遠い記憶に耽っていると、柿の木に登って甘い柿を食べている苦い記憶もよみがえった。

木の下から聞こえる隣家の親父の怒鳴り声、身がすくみ降りるに降りられず、木にしがみついていた恐怖も思い出された。

楽しかったこと、良い時の思い出もあるが、そればかりではなく、辛く悲しいことも多々思い出される今日この頃である。


初夏なのに晩秋のようなうら寂しいことも思い出されるのはなぜなのか。あながち齢のせいとばかりとはいえない気もする。

というのも、最近ふと目にした新聞紙上での「ウクライナ疲れ」という文言だ。ロシア軍がウクライナに侵攻した2月24日から間もなく4ヵ月が経つが未だ終わりの見えない残虐な破壊合戦が続いている。ロシア軍の後退や、欧米の物心両面での手厚い支援を受けたウクライナ軍の勇ましい反撃に興奮する時期は過ぎ「退屈」が忍び寄っている。陶酔と失望を繰り返すうち、気だるさが広がる。それを「ウクライナ疲れ」と言っているようだがなんともやりきれない。


一方でコロナの方もオミクロン株の収束も見通せないなかで、ウイズコロナと日常生活にしっかりと根を下ろしたようで、危機感が希薄になったようにも見える。これを「コロナ疲れ」と言うのかどうか。非日常が日常化し捉えどころのないまま時間が流れ、時が過ぎていく。夏を控えて熱中症が心配されるなかで、マスクの着用についての賛否がかまびすしい。

身近で起こっている日常と遠くで現実に起こっている非日常との落差の大きさが人々に漠とした不安をもたらしているように思う。なんとかしなくてはと思いつつ、自分ではいかんともしがたく、なんとかなるだろうと根拠のない楽観論にすがる、世の中全体が思考停止に陥っているような今日の空気である。


そんな生きにくい世の中にあっても、生きていかねばならない。

私たちの天職である警備の仕事も人口減少と技術の進歩という時代の流れを見据えた対応が求められている。

あらゆる分野でAIの活用がこれからの社会の在りようを変えていくキーワードのようだ。警備の世界でもすでに動き出している。日常の業務を確実に遂行しつつ、時代の先を見通してのイノベーションは事業継続の必要・絶対条件である。肝に銘じたい。


6月11日(土)に九州山口地方は梅雨入りしたとみられると報じられた。

小雨が止んだ午後、杏子の収穫を楽しんだ。

親・子・孫、3世代が力を合わせて。梯子を支える役、梯子に昇って実を取る役、その取った実を受け取る役等それぞれが役割分担しての作業だった。籠やざる、ポリバケツがいっぱいになった。

この様子をSNSで知らせると、遠く離れて暮らす子や孫たちから、「杏子ジャム」を待っているというメッセージが届いた。さりげない日常の暮らしが有難い。


代表取締役 加藤慶昭(6月12日記す)

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