【社長通信】目出度さも 中ぐらいなり おらが春

コロナ禍を引きずったまま今年も暮れようとしている。

昭和の、あの高度経済成長期の華やいだ歳の瀬を知る身にとっては、この2年続きの静寂な歳末は異次元の世界にいるようで落ち着かない。いずれにしろマスクを着けたままうつむいて、消毒液をつけた手をこすり合わせての年越しは寒々として忍び難い。


さて、中原中也賞を受賞した詩人・和合亮一の福島だより「ふるさとは夕暮れ・・・」は被災地・福島のその後の歩みと人びとの心の在り様を伝え続けて10年余り。自らの生と重ね合わせて目を通してきたが復興へのあゆみののろさは亀よりも遅く難渋している。

時間の経過とともに人々の価値観も多様化し、万人が納得する「解」はますます遠のいていく。自然災害を起因とする東日本大震災ではあるが、なぜか人災の色を濃くしていくような危惧の念を抱く。


一方、日本経済が失われた30年といわれるように長期停滞に陥って未だ先が見通せない。日本を取り巻く地政学的な変化、地球を取り巻く環境の悪化など様々な要因が考えられるが、問題はそれ以前にあるように思えてならない。

つまり、日本の政治・経済をはじめとする統治機構が時代の変化に対応できず機能不全に陥っているからではないか。さまざまな事象とその奥にあるより根源的なものを突き詰めていくとその基は意外と単純、つまり人間の弱さに起因しているようだ。


先日、700年前のイタリアの古典・ダンテの【神曲】その新訳に出合った。その一節を紹介する。


【神曲】は、あの世での最終形態という視点から人間の本質をえぐり出している。

例えば、地獄の手前には地獄にも入れない無数の浮遊霊が一つの旗を追いかけている。彼らは神に逆らうでも、仕えるでもなく、ただ自分のためにだけ生きた自己保身の霊たちだ。(死者の中でこの種の魂が一番多い)

「一度も(真の意味で)生きたことのないこの卑しむべく者たちは、真っ裸で、そこにいる虻や蜂の大群に刺しまくられていた。このため、幾筋もの血が彼らの顔をつたい、涙と混じりあって、足元の気味悪いウジ虫たちによって吸い集められていた」(地獄編第3歌64-69)

彼らは、自分さえよければ、目をつぶってやり過ごした者たちだ。そのため、今は身を守るものすべてを剝ぎ取られ、裸で虻や蜂に刺されている。

生前、彼らは自身の正義を示す機会において《見て見ぬふり》をしたため、死後、応報の理として《見て見ぬふり》という名の虫たちから苦しめられている。

かれらは地上で尊きことのために流すべき血と涙を惜しみました。社会の悪と戦って、そのために流すべき血であり涙であるのに、その血と涙を流すことを避けたがゆえに、今、虻や蜂に散々血と涙を搾り取られている。この苦しみは苦しまなかった罰としての苦しみなのだ。

現代でもいじめをする人間、いじめられる人間、それを見て見ぬふりをする3種の人間がいます。「いじめ」を「社会悪」と置き換えれば、普遍的な不作為の罪の話となります。ダンテは人々に警鐘を鳴らすと同時に、どのように生きるべきかを教えてくれます。 


みなさん、よいお年を!              


代表取締役 加藤慶昭(2021年12月16日記す)

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