【社長通信】コロナ後を見据えて
緑が濃くなる爽やかな季節なのに心まで自粛したまま時が静かに過ぎていく。
コロナ後を生きる人びとの意識、行動はどう変わるのか、それとも喉元過ぎればなんとやらで、元の木阿弥か。
東日本大震災の後、日本は大きく変わるのではと思われたが、福島はアンダーコントロールとの声のもと、何も変わらず今日にいたっている。
しかし、この度のコロナ禍では変わらざるを得ないと私は思う。
人と人とのつながり、多様な考え方、異なる文化との交流によって成り立つ社会が、世界が、分断され異様な状況にある。
新型コロナウイルスは発生源の中国からインド、中東、ヨーロッパへ。そしてアメリカから南米・ブラジル、そしてついにアフリカへとほぼ全世界に蔓延した。医療体制の不備なアフリカでの感染拡大防止が人類にとって最大の試練かもしれない。
例えば、インド洋に浮かぶアフリカの島国・マダガスカルは医療体制が貧弱で医療支援を呼びかけている。
先日私の娘婿よりマダガスカル支援のクラウドファンディングへの協力を求めるメールがあり、わずかだが浄財を提供した。日常的に手洗いの水にも不自由する劣悪な居住環境下ではコロナ禍に対処する術(すべ)がないという。この新型コロナウイルスは感染相手を選ばないといわれるがやはり多くは貧困層や弱者が犠牲になる。
今年のゴールデンウイークはそれこそ非常事態宣言の下、巣ごもりに徹するしかなかった。
居住地域内のウオーキングと事務所との往復のみで、新聞の通読、読書、畑仕事に家飲みで過ごした。情報収集に新聞4紙に目を通し、スマホのSNSも加えて日々の動きをチェックした。
人の動き(外出)は80%前後減少したが、人々の心の動きはどうだったのか。私が思うに良し悪しは別にして平時より150%増と激しかったのではないかと想像する。
コロナ禍に対する政府、各自治体の首長との不協和音、迷走などちぐはぐな対応に人びとの心は激しく揺れた。世論調査がそのことを如実に表していた。「信なくば 立たず」、ドイツ国民とメルケル首相との信頼関係がまぶしく映る。
さて、巣ごもりの間、本を読んだり、TVにて映画をみたり、自分の生きてきた過去を振り返ったりして今の時代を生きる自分と向き合った。
昨年の5月、ロータリーの国際大会にてドイツに行った。その折り、第二次世界大戦時のナチスドイツのホロコースト、事前に読んでいた『夜と霧』を下敷きに目にしたアウシュビッツは私の人生観を変えた。生きることの意味を考えるのではなく、深く感じさせられたからである。
映画は先日たまたまBSプレミアムにて「ドクトル ジバコ」を観た。ロシア革命前夜の激動の時代を愛に生きた医師の物語。原作がロシアの作家でノーベル文学賞を受けた作品、その内容が反体制的だとしてソビエト政府はその受賞を認めなかったことで、話題となった作品である。
人びとの生き方に関わる権力とは?その在り方についてしつこく考えている。そんななか、かつて宮澤首相の述べた言葉がよみがえる。「権力は抑制的に使うもの」と。
代表取締役 加藤慶昭(5月17日記す)
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