【社長通信】記憶の中の大寒


穏やかな正月三ヶ日でした。
この冬、山口では未だ初雪の観測がなく温かい日が続いている。気象台によると偏西風の異変でシベリヤ方面の寒気が南下しにくくなっているのが原因という。
夏の異常な暑さとともに地球を取り巻く環境の異変で、スウェーデンの少女が訴えているように地球温暖化への取り組みは待ったなしである。 


ところで、冬はやっぱり寒くなくてはいけない。
農耕民族の末裔としては冬の厳しい寒さは決して忌むべきことではない。
なぜなら寒さは病原菌、害虫を駆除し、新たな命を育む豊かな土壌をもたらすといわれる。地球の温暖化が問題となる以前からの認識で私は素直にそう思っている。  

この20日が大寒だが、厳しい寒さとともにさまざまなことが記憶の淵からよみがえる。
東北は日本海側の山形県・庄内に生まれた私にとって、田畑が道や川との境目もなく一面の雪原となるさまこそが、私の冬のふる里だった。
少年の頃、日中の日差しで溶けた雪が日没とともに冷えて固く凍りつき歩いてもぬかるまない。畑やら田んぼ、竹藪とか林の中などどこまでも歩いて行ける。月明かりの中を歩き回った体験がふと脳裏をよぎる。まさに宮沢賢治のあの「雪わたり」の世界である。  

高校3年の冬、受験を間近かに酒田市内に2ヶ月ほど下宿したことがあった。汽車通学だったが吹雪の時には列車が不通になることも普通にあった。
当時は暖房器具といっても、気の利いたものはなく火鉢を足元に置いて、毛布をかぶっては隙間風に震えながら机に向かった。北風にあおられて便所の戸がきしみ、くみ取り式の溜り場の匂いが風と共に運ばれてきて閉口したものだ。
日本一の大地主、本間家一族の末裔の旧家ではあったが、いまも広い座敷が目に浮かび、その匂いが鼻先によみがえる。  

当時流行った歌に、吉永小百合が歌う「寒い朝」があった。
下宿から30分かけての自転車通学だった私が、吹き付ける雪に向かって、滑るタイヤにひやひやしながら 
♪北風吹き吹く、寒い朝に・・♬ 
と心の中で口ずさんでは寒さをこらえてペダルを踏んだ。
今年も間もなくセンター試験が始まるが、寒さに震えながら受験に備えた50有余年前が昨日のことのように思い出される。 

私にとって最も強烈な寒さの記憶は、立春の頃・猛吹雪の中で父を見送った葬儀である。
1年以上にわたる闘病生活の果てに父は静かに旅立った。私が社会に出て2年目の2月のこと。
日本海から吹き付ける猛烈な吹雪、視界が5メートルもない中で道幅を示す目印の竹をたよりに、棺を載せたソリがゆっくりと村はずれの火葬場に向かった。
一族郎党50人ほど、「おくりびと」の葬列だった。
私は気が張っていたせいか、悲しみの感情はなく、むしろ、お骨が拾えるまで吹雪の中で足踏みしながら待つ間、心の寒さに耐えていた。 
昨日のことは忘れても昔のことが突然リアルに思い出される。齢を重ねると子どもに還るといわれるがこれは真理のようだ。大寒の頃の記憶をもとに、冬はやっぱり寒くなくてはと思ってしまう。 


最後に地球環境の異変に加え、そこに住む人間社会も変調をきたしキナ臭さが感じられる年明けである。杞憂に過ぎないことを祈りつつ、今年も前を向いて生きていこう。 
「一味同心」今年もよろしくお願いします。 

代表取締役 加藤 慶昭 
(2020年1月14日記す)

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