【社長通信】八月の記憶:異常な夏を楽しむ

8月7日は立秋、つまり暦では秋ということ。この日以降の手紙では「残暑お見舞い申し上げます」で始まる。

ところが今年はいつ果てるともない猛暑が延々と続いている。7月9日の梅雨明け以降もうすでに1カ月以上も真夏日。TV等の気象予報では「命に関わる暑さです。熱中症対策を十分に」と注意喚起、まさに異常予報です。

今年の台風は西から東へと日本列島を縦断した11号に続き、太平洋から関東近辺に上陸し、進路を西へと逆走した台風12号は、過去に例のないもので、予報官を慌てさせた。

8月はさらに多くの台風が発生すると予想され、猛暑に豪雨とトリプルパンチ、気の抜けない秋の入りである。  


ところで私事ではあるが、5日から9日まで里帰りをかねて山形、宮城、岩手と旅をした。
山口を終の棲家として37年になるが、ふる里山形・庄内への帰省はほんの数回に過ぎない。ふる里で暮らす兄や姉たちが元気なうちにと思い立ち墓参をかねて帰省した。
北海道にいる次男が学会で松江へ、その後山口へといってきていたが、一緒に山形へ同行することにした。それに小学3年生の孫娘との4人旅である。 

幼馴染の親友に帰省の件を伝えたらミニクラス会を設定してくれた。

20人ほどの級友が集まっていたが中学卒業以来60年ぶりに会う人もおり、名前と顔が一致せず戸惑った。記憶を手繰り寄せながら言葉を交わすうちに当時の面影がかすかに浮かび懐かしさが込み上げた。

男性はともかく女性の多くはまさに認知不能、ぎこちない会話でその場を取り繕ったが、どうもすっきりしない。

彼女らの前で私はすっかり浦島太郎になっていた。 

当日は夕方から急に雷雨となり、会場に向かう道中ワイパーを強にしてなんとかたどり着いたが、帰りは代行運転に救われた。西日本豪雨時の山口でのあの土砂降りだった。見る見る道路が冠水し、ホテルに近づくにつれひどくなる。

川のように流れる道を何とかたどり着いたが、心穏やかでなかった。この時分、庄内地方に大雨洪水警報が発令され、近くの市町村に避難勧告も出されていた。


6日は実家にて雨の合間に両親の墓参りをした。

老いた兄や姉たちと昔話に花を咲かせ、過ぎ去った長―い年月を想った。 


翌7日は、あの東日本大震災の被災地へと向かった。

宮城県石巻市、気仙沼市、岩手県陸前高田市である。鶴岡の宿から山形道を仙台へ、東北道、三陸道を経ての往復800㎞のドライブである。
道中、津波の被害が甚大だった沿海部では7年経った今も工事車輛が激しく行き交っていた。陸前高田は市街地全体が工事現場の中にあるように見えた。

カーナビでホテルに向かうが案内が全く違う。道路工事で規制区域が日々変わるので、ナビが対応できないのだという。

嵩上げのベルトコンベアーは撤去され、12mの高波に耐える防波堤も出来ていたが、その内側の道路、区画の工事は真っ只中、「奇跡の一本松」がひっそりと見えた。

夜は友人宅で祭りの余韻に浸りつつ、三陸の「海の幸」での心のこもったもてなしに確かな絆を実感した至福の時であった。 

猛暑の山口から雨の東北へ、気温も20℃前後でまさに避暑に来たような趣だった。

帰りは台風13号の接近で欠航が危ぶまれたが乗り継ぎの羽田からのフライトが30分遅れただけで無事山口宇部空港に着陸した。 

最後に一句、

八月や六日九日十五日 (詠み人多数)  
        

代表取締役 加藤慶昭(8月13日記す)

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