【社長通信】思えば遠くへ来たもんだ(PART-1)


2022年の正月は新年という感じがなく、コロナ禍の日常がそのまま日をあらためて時を刻んでいるように思えた。

昨年12月8日を境に17時04分で折り返した日没も今日(1月11日)は17時24分と遅くなり、この日脚の伸びが前向きに生きようとする心を後押ししてくれるようだ。小寒から大寒そして立春へと移ろう季節を感じながら、異変の生じた体の修復を、と意を決する。


人はひとりでは生きていけない。

いろんな人びとと関わり、つながり、持ちつ持たれつして生きている。

多様な考え方、価値観の違う人々とも好むと好まざるとにかかわらず付き合い、受け容れ生きていく。

そんな中で自分を見失わず、人間としての筋を通し自分なりに思考の幅を拡げつつ、世の中と折り合いをつけていく。これが生きていくことである。

これは年齢とともにまた社会における自らの立ち位置によってもその質は変わりつつ、生涯続く生きる上での痛苦である。


そこで思い出すのは30歳を前にして受けた試練である。


私が社会に出たのは高度経済成長期のはしりの頃で、学生時代のアルバイトの延長線上で職を得た。印刷を主とした広告宣伝に関わる営業職だ。接待を梃子(てこ)に仕事を取る、いわゆる花見酒の経済にどっぷりとつかっていた。酒の強さと付き合いの良さでそこそこ成果は上げていた。しかし、昼と夜が逆転したような生活が2年も続くとさすがにやっていることが虚業のようでこのままではダメになると転職を考えた。


そこに、取引先だった児童書の小さな出版社から声がかかり、地味ながらもやりがいのある編集・出版の世界に飛び込んだ。

日常の業務は東販、日販等の取次店へ注文の本を届けることや月に3回ほどは児童書の作者でもある社長の講演会にお供し、運転手兼著書の販売員として1都3県を回った。小さいながらも数点のロングセラーを持つ出版社の強みを学んだ。

その外は企画立案のため専門書をはじめ資料等を読み込んだ。また業界を知るための各種集会、会合などに出席しつつ編集者として人脈を広げることなども重要な仕事となった。

当時、日本はもはや戦後ではないといわれる中で経済の高度成長とともに出版界も活況を呈していた。児童図書の部門でも創作を中心に新たな書き手も現われ盛り上がりをみせていた。そんな世界で久しく疎遠だった児童書を読み漁り、子どもの本の世界に想いを巡らす毎日は新鮮でもあり、充実していた。


そんな中、この出版社の伝統を踏まえた新たな企画を練り上げた。この世界に入って3年余り、知己を得た専門家、編集者仲間、書き手などと親交を深める中で、さまざまな意見を交わしつつ、さりげなくその企画に対する評価を探りつつ、煮詰めていった。

大まかな構想がまとまり、長らく途絶えていた企画会議を開催した。社長と私の2人での会議である。日頃、顔を合わせているのになんとも大袈裟なという感じで始まったが、結果は案の定ボツであった。出版するための資金に不安があったのだ。日常の営業活動からある程度の予想はついてはいたが、企画の内容を見て賛成してくれるのではとの淡い期待もあったのだが。


その後、親しくしていた大手出版社の編集者にその企画の件を話したら好感触で、間もなく児童図書部門の責任者(常務)からオファーがあった。

(つづく)


代表取締役 加藤慶昭(2022年1月11日記す)

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