【社長通信】さりげない日常の幸せ
巣ごもりを強いられるコロナ禍にあっても、里山の緑が濃淡おりまぜてまさに山笑う風情は鬱屈した心を一時解放してくれる。
しかし、風薫る五月は一年で一番過ごしやすい季節というのに今年はなにかおかしい。15日には九州、山口が梅雨入りしたらしいと報じられた。
例年より20日も早い雨の季節の訪れ、気候変動が加速しているようで不気味だ。
生き延びるために変異した新型コロナウイルスは人間をあざ笑うかのようにその威力を増している。覚悟のない緊急事態宣言や蔓延防止策などに振り回される国民のがまんも限界に来ているようだ。専門家の知見に基づいて適切な判断を下すという政治の欺瞞に対し異を唱えた専門家の覚悟にほのかな希望が見えもする。
さて、切り札とされるワクチンの接種も始まったばかりだが、7月末までには高齢者全員にうち終るという願望のような目標は達成できるのか。2020オリ・パラの安全で安心な開催にこだわる政権としての意地を見てみたい。
因みに私は接種の予約電話が運よくつながり、5月25日に1回目、6月16日に2回目のワクチン接種の予定となった。行きたいところに自由に行ける日々が待ち遠しい。
この度のパンデミックは人びとに生き方そのものを見つめなおし、深く考える機会を与えてくれたと私は思っている。
社会における自らの立ち位置、人や物の動きの変化による経済的影響も人それぞれです。
不要、不急の外出自粛によりもろに影響を受ける事業は大打撃です。
人とのつながり、人生を豊かにするために必要な娯楽、広い意味での文化なども存続の危機にあるということは、人間の存在そのものが否定されているようで受け入れ難い。
このようなさまざまな経済活動に供給者としてかかわるか、需要(消費)者としてかかわるか、その立場によって受ける影響には大きな差が出る。事業によってはそのままでは存続が危ういものも出てくる。それこそこの新型コロナがいつ収束するのか、時間との戦いでもあり、その見極めが求められている今、オリ・パラどころではない。
社会にとってなくてはならない仕事、つまりエッセンシャルワーカーといわれる社会を維持するための必須の職業(医療や介護、保安、衛生など)に従事する人たちの待遇改善をはじめ、社会の仕組み、あり方を根本から見直すことが人類が生き延びるための喫緊の課題である。
細菌(ウイルス)との戦いは人類がこの世に登場して以来続くエンドレスの闘いといわれている。この新型ウイルスがワクチンによって克服できたとしても、また別のウイルスが発生するのが歴史の教訓。人類が生き延びるためには限られた地球という資源とどのように折り合いをつけていけるか、SDGs(持続可能な開発計画)が喧伝されるゆえんである。
ところで、私が人生においてもっとも幸せだと思うのは、家族や気の置けない友だちと酒を飲みながら、後の記憶に残らないようなくだらない話で盛り上がる、たわいのない時間である。ポストコロナの世界でもこの小さな幸せを見つけられるように祈りたい。
「一味同心」エッセンシャルワーカーとしての誇りをもって、職務を遂行し、新しい小さな幸せを見つけよう。
代表取締役 加藤慶昭 (5月17日記す)
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