【社長通信】いつまで続く、ぬかるみぞ
澄み切った青空に、梅原龍三郎の名画「北京秋天」を思い浮かべる。さしずめ山口秋天というところか。
去る一日の中秋の名月は、巣ごもりで呑む地酒の旨みを引き立ててくれた。
しかし、日常が非日常となって早や7カ月、どこまで続く、ぬかるみぞ、ではないがコロナ禍との付き合いはいつまで続くのやら、気持ちはすっかりぬかるんでいる。
コロナ禍による経済への打撃は計り知れない。日本ではコロナ以前に戻るのは22年頃といわれているが、業種によって影響の度合いには大きな差があり、ことは単純ではない。
幸いにわがセフティワンにはほとんど影響がない。3、4月に若干落ち込んだもののその後盛り返し、決算月の9月末には前期をわずかながらに上回った。屋外での業務が幸いしている。
報道によると業種によってその影響の度合いは天と地ほどの違いがある。
人の移動が制限された交通業者、例えばANAは海外渡航が不可で乗客が蒸発した。国内も減便を余儀なくされ巨額の赤字を抱え、人員整理が伝えられる。
三越伊勢丹や高島屋などの老舗百貨店も苦戦を強いられている。ここ数年売り上げが伸び悩んでいるところにコロナ禍の追い打ち、社会的使命が終わったのではとも思われる。
一方で、ファストリやニトリなどはコロナ禍の巣ごもりやテレワークなど在宅での働き方の見直しが追い風となり増収増益と報じられている。サントリーは家飲みのせいかそれほど落ち込んでいないようだ。アマゾンなどのネット通販はキャッシュレスを追い風に売り上げを伸ばしている。消費にはモノの消費と旅行やレジャーなどのコトの消費があるが3密が伴うコトの消費はまだまだ厳しい。不況知らずだったTDLやUSJなどのレジャー施設は冬の時代を迎えている。
コロナ禍の収束が見通せない中で私たちは生き延びるためには変わらなければならない。
テレワークなどの働き方が見直され、人との関わり方や家族のつながり、社会の在りようまで大きな変革が迫られている。そこで、コロナ後を生きていくために出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)の思考を紹介したい。
世の中をきちんと見て、正しく動いていくためには、複数の方法、まず基本的にタテ、ヨコ、算数の思考で考えること、エビデンス(データ)分析を活用することが必要という。
<タテ思考とは、「昔の人はどう考えたか」ということ。歴史に学ぶということです。次にヨコ思考とは、自分以外の他人の意見、つまり世界中の人の意見が参考になるということです。その次が算数。エビデンスに基づく思考が必要です。エビデンスをしっかり押さえ、データに基づいて分析することが肝要>
という。
最近よく耳にする言葉、つまり(真実かどうか確かめて)自分の頭で考え、自分の言葉で語ることです。どこかの総理みたいに、他人が書いた原稿をプロンプターで読むというような会見は恥の上塗りです。人それぞれ考え方が違う。その違いをしっかり受け止めて、自分の意見を言うことがお互いの理解につながる、ということです。
代表取締役 加藤慶昭(10月16日記す)
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